合格体験談~受験生へのエール~
前回は不合格体験談と称して僕の一度目のICU受験の体験について書きました。今日は浪人生活及び二度目の僕の受験体験について話したいと思います。僕のこの失敗と成功の体験は、ICU受験する人に何か参考になるかもしれないと思って書きました。
浪人生活
一年間の浪人生活を経て、僕はおそらく根本的に変化した、と自負しています。浪人中は正直めちゃくちゃ精神的にきつかった。高校の時の友達は大学生活を満喫している中、僕は毎日予備校へ通い、誰もいない家に帰り、自分で飯を作って単語帳をにらみながら食べていました。勉強への焦り、親に経済的な負担を強いていることへの罪悪感、そして毎日「俺はなにをしたいんだ?」と自問していました。というより、将来のことについて考えざるを得なかった。僕はずっと、文学について興味がありましたが、正直自分が「本当に」興味のあることはなにかを問い続けると、「俺は文学の何を知っているんだろう?」、と自分の無知を自覚し、「もっといろんなことに触れてみたい!」と思うようになったため、積極的にいろんな本を手に取り始めました。自分の興味・関心を広げ、とことん追求していくこと──これはICU受験のためだけでなく大学生活を送る上でも、最も大切なことだと思います。
二度目の受験
勿論、本だけ読んでてもダメです。好きな勉強はとことんやって、その上でもやらなきゃいけないことはちゃんとやる、ということを心掛けつつ、長ーーい浪人を終え、とうとう受験の日になりました。受験日は武蔵境駅に予備校の先生方が立って下さり、温かく送り出されてバスに乗り込みました。ちなみに僕は一度目の受験ではバスは混むと見込んでタクシーを使ったのですが、道を知らないドライバーに当たってかえって不便を被りました。余裕をもってバスに乗るのがいいと思います。
受験は、まず、人文・社会科学でした。内容は未だによく覚えています。確か、「道徳的想像力」についてでした。僕は「ちょうど同じようなことを考えていた!」と思い、とても嬉しく思いながら解いたのを覚えています。こういう類の哲学的なことに興味を持ったのも、浪人してからで、高校の時はつゆほども考えたことありませんでした。
人文・社会科学が終わり、昼休憩の時間は、一度目の受験で昼飯を食べ過ぎ眠くなった反省から、あまり食べないようにカロリーメイトなどを食べました。そして、英語が始まりました。一度目の受験の時、リスニングで聞き取れない不安から頭が真っ白になったのですが、二度目は分からなかったらすぐ諦め、次の問題から立ち直るように努めました。最後にATLASは、正直理系の問題はさっぱりでしたが、得意な文系の問題は落とさないように気を付けました。
受験を終えて
受験が終わりバスに乗ると、同じ塾で浪人していた仲間と会い、「どうだった?」「あの問題名に選んだ?」など話している内に「えっ、あれ三番じゃね?」「いや二番でしょ」みたいに不安になってきて、めちゃくちゃ落ち込んだまま帰りました。「俺はもう落ちたんだ」と思いました。そして、他受験対策を再開しました。まだ早稲田大学の受験を控えていたからです。正直、結果が出るまでの期間が浪人生活で最も地獄でした。
結果
結果発表日はもう死ぬほどに緊張しながら携帯を開いて結果を開きました。去年見た「不合格」という文字が頭をよぎり「落ちたらどうしよう」と吐きそうな気持でした。結果、合格という文字を見た時は腰がくだけてヘロヘロになりました。
☆
僕は高校の時まったく勉強しなかったせいで一年間浪人しましたが、それでも僕は浪人したから今の僕があると固く信じています。そして、ICUに入って本当に良かったと思っています。ICUを受験する皆さん、現役の人も浪人の人も、心の底から応援しています、頑張ってください。では、お体に気をつけて、あと少し、全力で頑張って下さい。
ELAを終えての感想
秋学期と、ELAの終わり
ICUは日本ではそんなにポピュラーではない三学期制(春・秋・冬学期)をとっています(多いのは前期・後期の二学期制)。今はちょうど秋学期が終わり一息ついたのでこの日記を更新しています。三学期制のおかげで(せいで?)ICU生の多くは学期中は死ぬほど忙しく、休みで存分に遊ぶという緩急のついた学校生活が送れるようになっています。僕の周りを見る限り、休みに入ると国内・海外旅行に出たり、留学に行ったり、海外ボランティアやサービス・ラーニング(学内ボランティア活動のようなもので、キチンと工程を踏めば単位が得られる)に参加したりとアクティブに過ごす人が多い印象です。
さて今回、僕はこの秋学期でやっっと(!)ELAを終えたのを記念して、ELAについて書こうと思います。ICUのホームページやパンフレットをお読みになればある程度ELAのことは分かると思うのでそういうオフィシャルなやつは省いて(笑)、もう少し主観的な、一学生からの観点でELAを終えた感想をだらだらと書こうと思います。。。
ELAについて
ストリーム分けとセクション
ELAはICUの学生は必須の英語の授業で、主に英語で読む・書く・議論するなどを鍛えるのを目的としています。ストリーム分けという英語のレベル分けが1~4まであり、ストリーム1(通称スト1)が最も人数が少なく、最も英語に堪能な人たち(10人ほどだった気がしますが確かではないです)、ストリーム3が最も人数が多い壺型になっています。僕はその中のスト3に属していました。
ストリーム毎にセクション、つまりクラス分けがあります(スト1は一つだった気がしますが)。そのセクションはアルファベットで振り分けられます。なので「セクションはどこ?」と訊かれるとストリーム3のBなら「3Bです」のように答えます。学内では普通ですがなかなかのムラ用語な気がします。
ストリームによってばらつきがありますが、スト1を除けばだいたい一年生の時はみっちりとELAをやりこむことになります。従ってELAに邪魔されて履修できる授業の自由度が狭まったりします。一年では英語で書いたり読んだりの訓練をし、二年では春・秋・冬学期のいづれか一学期間でRW(Research Writing)というのを履修します。他学ではアカデミック・ライティングなどと称されているようですが、要するに英語で論文を書く授業です。僕はこの秋学期にこれを終えたのですがなかなかハードでした。時間や労力をめちゃくちゃ要求された気がします(汗)。
ELAにおける集団アクティビティ
僕がELAを終えて最も感じたのは、セクションメイト(通称セクメ)とのコミュニケーションの重要さです。勿論、英語の文章を読んで予習をしたり、英語でエッセイ(自分の意見を論理的に述べた文章をEssayといいます。日本語の語感と異なるかもしれません)を書いたりするのは自分一人です。しかし、意見を言い合ったり(教室内・外)、書いたエッセイを交換してコメントを付け合ったり、時には4人くらいのグループでプレゼンをしたりなど、「集団の力」が大いに重視されます。なので、セクメと協力するのはELAを乗り切るのに必須です。
僕の属してたセクションしか知らないのですが、当然仲のいいセクションがあれば悪いセクションもあります。セクメで学期終りに打ち上げをしたり、バカ山でランチをしたりするところもあれば、教室以外では会わないというところもあります。勿論、「セクメと協力する」と言うのはこういった「つるんで一緒に遊ぶこと」を指しません。そうじゃなく、セクション内では、積極的に意見を交わしたり、学びを深める姿勢を持つと、すごく役立ちます!
結局のところ、大学は学問を集団で深める場であります。コミュニケーションをとることで刺激を受け、新たな視点が広がります。セクメという学友とは、キチンと向き合うのを強く勧めます。
ICU(国際基督教大学)不合格体験談②
不合格当日
試験当日のことはあまり覚えていませんが、英語のリスニング問題が始まった瞬間に
「あ、これ無理」
と思ったことは鮮明に覚えています(汗
それからは人文・社会科学をやって、昼休みになりました。絶望的な気分で外を歩いていると学食(通称ガッキ)があったので入ってみました。ここでも失敗だったのですが、割と多めに食べたせいで次の総合教養で眠くなってしまったのです(泣
通知
結果発表当日になりました。震える手でウェブページへ飛ぶと、
あなたは不合格でした
とありました。呆然となりました。もう一度見ても、何度見ても不合格でした。
気が付けば外に出ていました。それからしばらく町を徘徊して帰宅しました。これは今思い出しても辛いものがありますが、母が満面の笑みで「受かったでしょ?」と尋ねてきました。「落ちたよ」と僕は答えました。
「またまた~ほんとは?」
「ほんとに落ちたよ」
「ホントのこと言ってよ」
と言われ悲しさと悔しさと不甲斐なさと、色々混じった感情で「落ちたって!!!」と怒鳴ってまた家を出ました。
そして浪人へ
そこからが大変でした。何しろ担任とは話さず、他大学も受けてすらいなかったのです。とりあえず僕は高校へ行き、一番仲の良かった先生の元を訪ねました。
そして後期の大学受験をすることが決まりました。しかし困ったことに、ほとんど目ぼしいところは締め切りが過ぎていました。結局ある大学に受験し、そこは合格しましたがやはり行く気はなく、気持ちはICU再受験に傾いていました。
僕のことを両親は気遣っている様子でしたがあっちからは何も言ってこず(笑)、難治化後に僕から「浪人がしたい」と打ち明けました。
「東京で一人暮らしをして一年浪人させてほしい」と懇願しました。父は「いいよ」と意外にも即答しました。
「長い人生、一年くらい浪人したってかまわんだろう」とのことでした。本当に両親には感謝しなくてはなりません。
こうして僕は新宿にあるとあるICU専門の予備校に通うことになりました。浪人時代のことは、いずれ書こうかな。。。
ひとまずこれで不合格体験談は終わります。最期に、僕が思う自分のここがダメだったポイントをまとめてみますと、
1. 志と努力が見合っていなかった
2. 滑り止め受験をしていなかった
3. 環境
だと思います。
1. に関しては言わずもがなと思いますが、ICUに行きたい気持ちと、ただ暗記する勉強に価値を見出さなかったのはまあわからんでもない笑(今でも偏差値主義の輩や受験信奉者は嫌いです)ですがそれに加えしっかりと勉強していればよかった。。。
ちなみにですが模試もふざけてやっていましたので世界史などは9点とかでした(汗
それも当時は「ネタにできる!」としか思っていませんでしたので呆れたものですが。
2. に関してはやはり行く気がなくても滑り止めは持っておくに越したことはないです。僕は担任にそう言われ反発していたのですが(笑)、精神的にも余裕が持てますし、選択肢はあっても損はありません。
3. に関しては周りのせいになっちゃうんですが、でもこれも事実だと思います。僕の地元はそんなに田舎でもないのですがやはり受験となると東京にいるほうが圧倒的に有利に思われます。予備校の質も違いますし。
また僕の実家もあまり勉強に適した環境ではなかった(汗
浪人も実家やってたら受かってなかった気がします。(実際僕の同級生で浪人して志望校に受かったのはいませんでした。気の持ちようもあるでしょうが、環境を一新する方がいい気はします)
以上が僕の不合格体験談です。気持ちの整理のために書きましたが受験生諸君には僕を他山の石として頑張ってほしいです。
ありがとうございました。
ICU(国際基督教大学)不合格体験談①
受験舐め腐り受験生~受験前夜~
受験嫌すぎて現実逃避
今から数年前、高校生だった僕は迫りくる受験に対していろんな感情を抱いていました。恐れ、いら立ち、侮蔑感。。。とにかく嫌で嫌で仕方がありませんでした。高校三年生になると周りの友達もだんだん予備校へ通いだしいよいよ焦りが募りました。「おれもどこか通わなきゃ」と思いICUで検索してみてヒットしたのは某TOE×Lゼ〇ナールのICUコース。とりあえず通い始めるも最期までなじめずに結局ドロップアウトしました。しかし「何とかなるんじゃないか」という自信だけはなぜかあり、「ICUを一番理解しているのはおれだ!」と驕っていました。我ながら阿呆です。
その頃高校では教室中がピリピリしており、授業中もみな自分の勉強に忙しそうでした。僕と言えば英語の勉強(具体的にはIELTSの対策)は一応していましたが他の私立文系の人がする世界史を心の底から憎んでおりまったく勉強しませんでした。その憎悪の理由は「ただ丸暗記するような勉強は身に付いたことのならない」という持論を持っていたからです。今思うと全うな理由に思えますがじゃあ身に付くように勉強すればよかろう、何もせず偉そうな口を叩くな、という声が聞こえてきます。要するに口だけ達者な勉強しない受験生でした。ICU以外に行く気はなかったので対策もしませんでした。
担任や先生に嫌われる
担任もそんな僕を見て「徒然く~ん、世界史、やらないとねぇ~~~~」と言ってきましたが僕は彼を心の底から嫌悪しており全く耳を貸しませんでした。その嫌悪の理由は彼が自分の生徒の受験実績しか頭にないこと(彼は国公立至上主義者で、国公立受験する生徒にのみ個人的にメールで鼓舞していたそうです。ひええ)や、彼のしゃべり方も人を馬鹿にしているようで嫌いでした。そんなある日、古文の授業中僕が喋っているのを咎められ(実際そんな大声でしゃべってなかったとは思うけども)、「出てけ!」と命じられました。僕はその古文の先生も嫌いでした。彼のしゃべり方もそうですし授業も死ぬほどつまらなく、その上なぜか僕を目の敵にしているような節がありました。そうして僕は素直に出ていこうとしましたが「生活指導室へ行け」とも命じられこれは無視して図書館へ行き本を読むことにしました。読みたい本が特になかったのでムーミンの漫画(英語のやつ)を手に取って読んでいました。図書館のスタッフには怪訝な目で見られましたが無視して隅の方でムーミンを読みながら「ムーミン谷に住みたい」と本気で思ってました。
休み時間が終わり教室へ戻ると例の担任に「お前ちょっと来い」と呼び出されました。そして「お前さっき何した」と詰問されました。
「出て行けと言われ出ていきました」
「生活指導室に行けと言われただろう」
「行きたくなかったので図書館に行きました」我ながら反抗的で憎たらしい返答です。
「お前なめとんのかああ!!!」と担任は怒鳴りました。返答に困ったので黙っていました。
「やる気ないんか?!」などと言われた気がしますがちゃんと覚えていません。とりあえず僕は沈黙していました。口を開きたくなかったからです。なにより、こんな大人に説教されたくないという想いでいっぱいでした。お前に俺の気持ちなんか分からないよ、と思っていました。そういう年ごろだったのかもしれませんが受験に隷属する戦士や友達を馬鹿と決めつけて反抗しまくっていました。(これで勉強してたら言うことなしなんだけれどもねぇ。。。)
そうして高校も多くの先生に嫌われながら終りに近づいて、とうとう受験の日が来ました。東京に住むいとこのマンションのゲストルームに泊まらせてもらいました。そして翌日のICU受験に想いを馳せていました。正直不安よりも根拠ゼロの自信に満ちていました。翌朝、タクシーに乗りこみ憧れのICUへと向かいました。絶望が待っているとも知らず。。。(つづく)